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備後落合駅のリクエストをした主です 。リクエストありがとうございました。やっぱり備後落合駅、いいですね。
秘境ターミナル駅の備後落合駅が昔はここまで賑わっていたとは。
ご視聴とコメントありがとうございます。ここまでの賑わいがあったことを知りませんでした。時代の変化に驚きますね。
一部の鉄道マニアに絶大な人気を誇る秘境駅「備後落合」。1964年当時の列車の本数の多さ、行先の多彩さに圧倒される…そしてこう仮定する、当該駅の真の最盛期はこの時期ではないかと。そして当時の最終が深夜2時すぎ…冗談抜きで野宿できそう(笑)
ご視聴とコメントありがとうございます。駅前には旅館が存在しており、宿泊客はもちろん、始発までの時間仮眠スペースとしての貸間があったという情報もありますね。鉄道が交通の主役であり、大変な賑わいがあったことが推察できますね。
現在の芸備線・木次線からは想像もつかない夜行急行列車。各急行停車駅には管理要員が夜勤していたことを思うと。
ご視聴とコメントありがとうございます。当時の時刻表を初めて読んだときには私も大変驚きました。かなりの維持費がかかっていたでしょうから、赤字が膨らんでいってことも納得できますね。
賑わいの有った時代の懐かしい備後落合駅の時刻表、ありがとうございました。子供の頃に家族で皆生温泉に行ったとき、4両編成(キロ28のグリーン車付き)の急行「ちどり」(広島~米子)に乗ったのが良い思い出です。備後落合駅でスイッチバックして木次線に入ると、急行と言っても速度がぐっと落ちて(当時から木次線の規格は低かったようです)、そして三井野原駅~出雲坂根の三段式スイッチバックにワクワクしたり。今でも朧げに覚えています。また、当時は芸備線~姫新線を直通する貨・荷物列車があって、「広島~姫路 荷二」といった郵便車内で押してもらえる消印をゲットするために、往復はがきで手配したりしていましたね。
子供のころ父親に連れられて 夜行の急行ちどりだったと思いますが備後落合でおでんうどん食べた思い出があります今では昭和のころの賑わいが想像できないぐらいのさびれた駅ですが 駅ノートが充実しています古い時刻表から時刻、行き先、列車番号拾われていると思いますが 無理のないペースで投稿していただけるとありがたいです 楽しみにしています
ご視聴とコメントありがとうございます。当時の貴重な思い出ですね。おっしゃる通りで、一つ一つ手作業で確認しながら、動画にしております。大変時間がかかりますが、当時の列車が甦るようで、感慨深いものがあります。お気遣いありがとうございます。おでんうどん、いつか食べてみたいです。
現在の昼の三方向の列車が集まる時間は青春18切符シーズンだととてつもない人で溢れ帰ります。廃れてしまって普段人が来ない駅にこうやって人がたくさん集まる風景を見ると感動します。おろち号が走らなくなった今は本当に18シーズンしか人が集まらないのが現状だと思うと悲しいものです
ロマンとシンプル、簡潔な解説、音楽。久々に感心しました。ハマってます笑
ご視聴とコメントありがとうございます。また、大変嬉しいお言葉ありがとうございます。これからも楽しんでいただける動画をお届けできるよう頑張ってまいります。
備後落合駅、素晴らしい動画でした。地方ローカル線の拠点駅の繁栄してた時代を知ることができました。同じ理由で志布志駅や名寄駅も見てみたいです❤
備後落合駅は鉄道の黄金期と今との対比がよく現れた駅の一つかなと思います。一鉄道ファンとしては活気ある当時の鉄道を見てみたい気持ちでいっぱいです。いつも時刻表動画の制作投稿ありがとうございます。
ご視聴とコメントありがとうございます。また、大変嬉しいお言葉ありがとうございます。確かに、鉄道の黄金期と、現在との対比がよく現れている駅ですね。ここまでの変化を感じる事ができる駅も珍しいなと思います。時刻表を読むと、当時の駅に降り立ってみたいなといつも思います。
ありがとうございます。芸備線は40年前何度も利用させててもらいましたが、備後落合駅で降りたことは一度もありませんでした。広島から、東城、新見、松江まで直通がありましたから。ありがとう、涙が止まりません。
ご視聴とコメントありがとうございます。また、嬉しいお言葉ありがとうございます。当時の備後落合駅は交通の要衝として大きな役割を果たしていましたね。
またマニアックな駅をありがとうございます。地元の新聞でも「廃止?」さらにJR西の先日の発表。かつて北海道の路線が今は見る影もないのを思い出しました。
ご視聴とコメントありがとうございます。北海道に続き、本州や他の地域でも同様の事が起こりつつあることを感じますね。芸備線はすべての区間で赤字という発表がされましたね。今後どうなるのかが大変気になるところですね。
今では考えられない本数と多彩な行先ですね。今や秘境駅ですが、昔は有人駅どころかターミナル駅ともいえるくらいでたいそうにぎわったのでしょう。
鹿児島県の志布志駅と並ぶローカル線の一大ジャンクション駅でした。現在は志布志駅は日南線のみの駅。
nori tabi さんいつもご視聴とコメントありがとうございます。この駅で乗り換える人も多く、駅前も賑わいがあったのでしょうね。長いホームが存在していることも納得です。フラン・タイガースさんいつもご視聴とコメントありがとうございます。志布志駅も当時の時刻表は活気があり面白いですね。いつか動画のテーマに取り上げてみたいなと思います。
時代は違いますが、「たいしゃく」に乗って広島へ行くことがありました。備後落合での停車中に「おでんうどん」を食べたことを思い出しながら拝見させて頂きました。
ご視聴とコメントありがとうございます。「たいしゃく」は準急としては短い間の活躍でしたが、急行となってからはつい最近まで活躍していたように思える列車ですね。「おでんうどん」は有名でしたね。今は場所を変えて、近くのお店で提供しているようですね。一度食べてみたいです。
最後に食べたのは随分前です。美味しいですよ。当時の味が維持されてることを願います。久しぶりに食べたくなりました。
この動画の新旧の比較というより尺の違い(8分54秒のうち旧時刻表に6分14秒費やしている)が当時駅の賑わいを見てとれるような気がします。駅ばかりでなく機関区もあったためか鉄道官舎も周辺にたくさんあって住民もたくさんいたのでしょう。それが今や分岐点なのにかかわらず秘境駅とは...時代の流れを感じてしまいます...
ご視聴とコメントありがとうございます。動画の時間の中での、新旧時刻表のそれぞれの尺の長さが列車本数の違いをよく表していますね。当時は多くの職員が働いていたはずですが、まさか秘境駅になってしまうとは、想像もできなかったでしょうね。
姫路、広島直行が当たり前にあったんですねえ…系統分断の弊害を一番受けている駅なのではありませんか?
ご視聴とコメントありがとうございます。当時の人々がどのような経路で移動していたのかが想像できる時刻表ですね。ここまで大きく様変わりした駅は他には存在したいのではないかと思えるくらいですね。
お疲れ様です。動画ありがとうございます。国鉄が我が国の津々浦々まで行き交っていたことを象徴する時刻表ですね。分岐駅ということで賑わい、係の方の声が一日中響いていたものと思います。現地を見たことはありませんが、今や1日のうちの短い時間に数回キハ120のアイドリングが響くだけになったのも交通事情の変化や人口の減少という地方のあるあるを示す姿になってしまったのが寂しいですね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。当時は機関区も存在し、多くの職員が勤務していたことが想像すらできないです。本数も大変少なくなったことに加えて、長いホームに1両しか停車しない姿は、時代の変化を感じさせますね。
昔、あの辺りは宿場町だったと聞いた。賑わってた頃の備後落合駅とその周辺をタイムスリップして見てみてえ。😆
ご視聴とコメントありがとうございます。仰る通りで、動画を作成している時には、当時の様子を実際に見てみたくなります。
地球発22時でも冒頭に備後落合が出ていましたが、当時は駅員がいて本数も今よりは多かったのでしょうね駅舎や駅構内の姿はそのままなのに列車本数や駅員といった部分的な所だけ変わってしまったのは時が流れた証拠ですね・・・(ruclips.net/video/EHSMejvmvX8/видео.html)1964年の時刻を見ると出雲横田行きが多いですが、おそらく出雲横田で増結して列車番号を変えて宍道まで走っていたのではないでしょうか?2020年に14時台の三次行きに乗り、備後落合を発車してから駅スタンプ帳を忘れたことに気づき、列車交換をする備後庄原で慌てて戻ったことがありました。(ついでに簡易委託駅なのでPOS端末で入場券も買ったw)備後落合に戻ると駅スタンプ帳は、自分が置いたままの状態で無事で、再び広島へ行くため列車に乗り、無事に目的地の広島へ着くことができたという苦さと甘さが半々の思い出があります。比較動画として1964年の紅葉山駅(現:新夕張駅)というのも面白いかもしれませんね。長文で失礼しました。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。出雲横田行きですが、時刻表上は出雲横田駅で宍道行きに接続しているように読めますね。①備後落合(6:42)→出雲横田(7:47) 416D 出雲横田(8:00)→宍道(9:48) 418D②備後落合(10:48)→出雲横田(11:52) 422D 出雲横田(12:21)→宍道(13:57) 424D駅スタンプ帳を無事に迎えに行けてよかったです。利用客が少ないこともあるかもしれませんが、誰も持ち去らずにそのままにしてくれてくれたことが嬉しいですね。紅葉山駅の時刻表も確認してみましたが、大変面白いですね。ご提案ありがとうございます。
よく資料を集め、整理なさりましたね。1964年、私小学校1年生でした。昨年9月末、備後落合駅に伺いました。当時は凄い本数でしたね。あの広いホーム納得です。登録しました。
ご視聴とコメントありがとうございます。また、登録と嬉しいお言葉もありがとうございます。当時の状況を知った上で、現在も残る駅を訪れると、感慨深いものがありますね。
この時刻が本当かどうかはわからん。あんたの動画は沢山見させてもらった。起承転結と、それだけではない幼い時の思い出や心に響く音楽と…昔と現実を見させてもらった。良いものを持ってる。時代の流れ、幼き想い。心に刺さる。これからも、自分の想いを時代に流されず人に伝えてほしい。この時刻表、懐かしい。あんた上手いな。
ご視聴とコメントありがとうございます。また、嬉しいお言葉ありがとうございます。当時を思い出して懐かしむ方、時代の変化に複雑な想いを抱く方、経験したことのない当時を想像する方など、観る方によってさまざまな想いが沸き起こり、時刻表を楽しんでいただける動画になっていれば嬉しく思います。これからも時刻表を楽しんでいただける動画づくりをしていきますので、よろしくお願い致します。
今日は。備後落合駅の昔の時刻表は始めに見ました。60年代の備後落合駅も電車が多かったですね。今は田舎のなかで田舎ですけど。この時には備後落合駅も賑やかましたね。鉄道の全盛期は新幹線始まり時 1964年つもりかもしれません。
ご視聴とコメントありがとうございます。当時の備後落合駅は大変賑やかであったことが想像できますね。現在は発着する列車本数が大変減ってしまいました。この時代は、日本中が網の目のように鉄道で結ばれていますね。日本での鉄道全盛期はこの時代であったと思います。
隣の三井野原や道後山駅には中国地方では数少ないスキー場があり、冬は広島方面から臨時列車が出ていたそうです。
GMAPで調べたら三井野原スキー場、道後山高原スキー場が出てきましので、そのスキー場でしょうか?今も現役で運営されているようです。浦佐駅近くにあったスキー場のように閉鎖、廃止されたところもあるので残っているのは優秀ですね。スキー客向けの臨時列車があるのは知りませんでした。昨今の現役スキー列車は東武のスノーパル2355くらいでしょうか。
hirobaeさんご視聴とコメントありがとうございます。中国地方でのスキー客用の臨時列車というのも面白いですね。当時の需要の高さがわかりますね。HaneNari Airport Limited exp.さん最近のスキーをはじめとした、ウインタースポーツ需要の低下を考えると、現役で運営されているのは嬉しいですね。東武鉄道は私鉄の中でも夜行列車が走り、現在でも工夫を凝らした列車が走り面白いですね。
快速「三井野原スキー号」ですよね。冬場にPCで運転されてました。この臨時快速は広島を夜に出る夜行便もあったのではないかと。
たいしゃくが岡山発着だったことに驚きました。そんな時期もあったんですね。
広島から山陰本線連絡の「ちどり」の夜行便が運行されてました。今のダイヤ、木次線の備後落合から出雲横田間は下り5本、上り4本しか運行してません。芸備線も広島口だと、運転本数が多いです。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。現在の芸備線の状況から考えると、夜行列車が存在していたことが信じにくいですね。芸備線も広島口だと1時間3本設定されていることもあり、備後落合周辺とはかなり様相が異なっていますね。
昔は冬季に元祖スキー⛷️列車の「三井野原スキー号」がありました。急行と快速。夜行もあった急行「ちどり」も。備後落合駅はそれは賑わっていたことでしょう。
ご視聴とコメントありがとうございます。「三井野原スキー号」調べてみますと、最盛期は複数の列車が設定されていたようですね。かなりの需要があったのでしょうね。タイムマシンがあれば、賑わっていた当時の備後落合駅に降り立ってみたいです。
1964年当時は広島・姫路行きの客車列車や多数の準急列車とか多彩だったのがわかります。2023年現在は普通列車だけになって新見や三次、宍道、木次行きしかないというのが……。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。本数の減少に加えて、短距離の運転ばかりになってしまいましたね。利用者の減少と効率化が進んでしまった事がわかりますね。
楽しく拝見いたしました。ところで、備後落合駅止まりの列車の本数はどのくらいあるのでしょうか。
夜行ちどりが現役の頃ですね。備後落合駅駅近くの郵便局の方の話では、1980年代前半くらいまでは駅前は、それなりに栄えていたそうです。
昔は交通の要所だった備後落合駅には有名なおでんうどんが販売されていました去年訪れたときは乗車していたのは鉄道マニアの人ばかり地元民は0人の状態これでは廃止の議論が上がるのも・・・先人たちが苦労してつなげた路線をぜひとも残してほしいと思います
いつもご視聴とコメントありがとうございます。おでんうどん、一度食べてみたいです。地元民0人の状態は大変危機的ですね。時代の変化とはいえ、鉄道が少しずつ衰退していくのは寂しいですね。
昨年の年末年始に訪問予定で、広島から三次まで移動して備後落合行に乗り換えようとしたら「積雪の為ウヤ」との事。仕方がないので、福塩線に乗りました。そして、10月に訪問しました。とにかく、備後落合までの運転本数が僅かなので、行程を組むのに苦心しました。某有名ユーチューバーの大学生2人が、備後落合で世を明かす動画をアップしていましたが、撮影当日は3月だったので、寒さと孤独との戦いだった様です。
姫路までの列車と準急という種別まであったことにびっくりした。そういえば、JR全体で急行って何本あるんだろう?
ご視聴とコメントありがとうございます。バリエーション豊かで面白いダイヤになっていましたね。日本全国で走っていた急行ですが、北海道の『急行はまなす』が廃止になってしまい、急行はなくなってしまいましたね。
昔急行ちどり乗った事あります。平成入って減る一方ですからね。沿線の航空写真による変遷見ればそもそも人が減ってるからどうしようもない。芸備線三月の落石から備後落合〜東城は不通のままですね。そのまま運転回復しないまま事実上廃線状態なるかもですね
備後落合駅はかつて、「落合銀座」と呼ばれるほど活況を呈した時代もあったようだが、1964年はまさに「黄金期」だったかもしれない。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。現在のイメージとは全く違う、まさしく交通の要衝として栄えていたことがわかりますね。
あたいも1かいだけ訪ねましたホント山の中⛰⛰
あまり誰も指摘しませんが、芸備線過疎化の原因は、中国縦貫道開通による影響が大きいと思います。(そうでなければ、新見、庄原、三次といった、小規模ながらもいくつもの都市を通るにもかかわらず、衰退するはずがありません。)吹田JCTを起点とする中国縦貫道は、既に昭和49年に落合ICまで開通しており、昭和58年には全通しました。(※若干誤解していたので、補足します。上記「落合」は「美作落合」であり、「備後落合」ではありません。)小生の記憶では、早くも昭和50年代には大阪~津山間で高速バスが頻回運転していました。広島からも三次、庄原行の高速バスが多数運行しており、本数は少ないですが、大阪~新見・三次便の高速バスもあります。芸備線は、高速バス、さらにはマイカーとの競争に敗北した路線だと思います。(ただ、その場合、中国縦貫道と山陰方面との公共交通機関が脆弱な気がしますが、伯備線、智頭急行等で補完されているのでしょう。中国縦貫道道中の都市と松江・米子方面とを結ぶバスの定期便は見当たりませんでした。)
広島~三次~松江間も頻繁に高速バスが運行されています。それも中国縦貫道~松江道経由で3時間強(ノンストップ型)から4時間(三次、木次等に停車)で走るので、急行ちどりなどでは勝負にならないのでしょう。松江道が三次~宍道(松江市)まで開通したのは2013年のことなので、この後鉄道が決定的に高速バスに敗北したのでしょう。そもそも、木次線は線形が悪く、高速化するにはそうとうな改修工事が必要なので。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。また、詳細でわかりやすい情報を提供していただきありがとうございます。高規格な路線にしようにも、当時はそれだけの技術も費用もなかったでしょうから、高速道路の出現により他の交通機関に淘汰されてしまう未来は決まっていたのでしょうね。高速バスの高頻度で様々な地域を結べるフレキシブルさと、しかもそれを低価格で利用できるとなれば、鉄道が勝負するにはかなり厳しいですね。
@@tomoyankun 最近、高速道路の整備→高速バスの頻回運転→鉄道過疎化のパターンをたどっている地域が増えています。その顕著な例が東京湾アクアラインを走る高速バスによる、内房線の衰退です。以前はこうした現象を嘆いていましたが(元乗り鉄なので)、今となっては仕方ないと思っています。
あの時代の鉄道マン達は中国の要衝だった備後落合はじめ芸備線や姫新線がここまで閑散としている事等思いもしないだろうな………
ご視聴とコメントありがとうございます。当時は機関区もあった駅が、ここまで状況が変化する事は想像もしていたなかったでしょうね。
日豊本線大分駅でお願いします
ご視聴とコメントありがとうございます。魅力的な列車が走っており、大分駅もリクエストが多い駅ですね。リクエストありがとうございます。
普通列車が2時間間隔くらいで、この駅を境にして3方向に出ていくんだなあ。準急たいしゃくもあるし、現在の地方路線なんて大半がこの駅より運行本数が少ないんじゃないか?
ご視聴とコメントありがとうございます。各方面に向けて、続けて出発していく様子は圧巻ですね。仰る通りで、現在の地方路線の大半は本数が本当に減ってしまいました。寂しいですね。
時間の都合でクルマでの沿線訪問しか出来ていませんが、おでんうどんは国道おろちループ方面交差点近くのドライブインおちあいで9〜5月の間に食べられます出雲坂根にはおろち号運転日に焼鳥や手作りおにぎりを売る売店がありました参考までこのあたりは福塩線沿線でもバスの日曜運休路線があるくらい、公共交通は極めて厳しい状態ですね
並走してる中国道が最強すぎる。そりゃ太刀打ちできないよな‥
ご視聴とコメントありがとうございます。曲線や勾配のの多い路線であることもあり、高速道路の開通によって、速達性では太刀打ちができなくなってしまいましたね。
1964年9月で備後落合駅を発車する列車は、普通と準急を合わせると31本(普通23本、準急8本)。しかも広島や姫路行きと言った長距離普通列車もありましたね。現在は、最新のダイヤで普通のみ12本。かつての賑わいが嘘のようですね。
とはいえ当時から20時以降は走っとらんかったんか陰陽連絡線全盛期時代でもこれなら今走っとるだけ奇跡です
備後落合駅のリクエストをした主です 。
リクエストありがとうございました。
やっぱり備後落合駅、いいですね。
秘境ターミナル駅の備後落合駅が昔はここまで賑わっていたとは。
ご視聴とコメントありがとうございます。
ここまでの賑わいがあったことを知りませんでした。時代の変化に驚きますね。
一部の鉄道マニアに絶大な人気を誇る秘境駅「備後落合」。
1964年当時の列車の本数の多さ、行先の多彩さに圧倒される…そしてこう仮定する、当該駅の真の最盛期はこの時期ではないかと。
そして当時の最終が深夜2時すぎ…冗談抜きで野宿できそう(笑)
ご視聴とコメントありがとうございます。
駅前には旅館が存在しており、宿泊客はもちろん、始発までの時間仮眠スペースとしての貸間があったという情報もありますね。
鉄道が交通の主役であり、大変な賑わいがあったことが推察できますね。
現在の芸備線・木次線からは想像もつかない夜行急行列車。各急行停車駅には管理要員が夜勤していたことを思うと。
ご視聴とコメントありがとうございます。
当時の時刻表を初めて読んだときには私も大変驚きました。
かなりの維持費がかかっていたでしょうから、赤字が膨らんでいってことも納得できますね。
賑わいの有った時代の懐かしい備後落合駅の時刻表、ありがとうございました。
子供の頃に家族で皆生温泉に行ったとき、4両編成(キロ28のグリーン車付き)の急行「ちどり」(広島~米子)に乗ったのが良い思い出です。
備後落合駅でスイッチバックして木次線に入ると、急行と言っても速度がぐっと落ちて(当時から木次線の規格は低かったようです)、そして三井野原駅~出雲坂根の三段式スイッチバックにワクワクしたり。今でも朧げに覚えています。
また、当時は芸備線~姫新線を直通する貨・荷物列車があって、「広島~姫路 荷二」といった郵便車内で押してもらえる消印をゲットするために、往復はがきで手配したりしていましたね。
子供のころ父親に連れられて 夜行の急行ちどりだったと思いますが備後落合でおでんうどん食べた思い出があります
今では昭和のころの賑わいが想像できないぐらいのさびれた駅ですが 駅ノートが充実しています
古い時刻表から時刻、行き先、列車番号拾われていると思いますが 無理のないペースで投稿していただけるとありがたいです 楽しみにしています
ご視聴とコメントありがとうございます。
当時の貴重な思い出ですね。
おっしゃる通りで、一つ一つ手作業で確認しながら、動画にしております。大変時間がかかりますが、当時の列車が甦るようで、感慨深いものがあります。お気遣いありがとうございます。
おでんうどん、いつか食べてみたいです。
現在の昼の三方向の列車が集まる時間は青春18切符シーズンだととてつもない人で溢れ帰ります。廃れてしまって普段人が来ない駅にこうやって人がたくさん集まる風景を見ると感動します。おろち号が走らなくなった今は本当に18シーズンしか人が集まらないのが現状だと思うと悲しいものです
ロマンとシンプル、簡潔な解説、音楽。久々に感心しました。ハマってます笑
ご視聴とコメントありがとうございます。
また、大変嬉しいお言葉ありがとうございます。
これからも楽しんでいただける動画をお届けできるよう頑張ってまいります。
備後落合駅、素晴らしい動画でした。地方ローカル線の拠点駅の繁栄してた時代を知ることができました。同じ理由で志布志駅や名寄駅も見てみたいです❤
備後落合駅は鉄道の黄金期と今との対比がよく現れた駅の一つかなと思います。
一鉄道ファンとしては活気ある当時の鉄道を見てみたい気持ちでいっぱいです。
いつも時刻表動画の制作投稿ありがとうございます。
ご視聴とコメントありがとうございます。
また、大変嬉しいお言葉ありがとうございます。
確かに、鉄道の黄金期と、現在との対比がよく現れている駅ですね。ここまでの変化を感じる事ができる駅も珍しいなと思います。
時刻表を読むと、当時の駅に降り立ってみたいなといつも思います。
ありがとうございます。芸備線は40年前何度も利用させててもらいましたが、備後落合駅で降りたことは一度もありませんでした。広島から、東城、新見、松江まで直通がありましたから。ありがとう、涙が止まりません。
ご視聴とコメントありがとうございます。
また、嬉しいお言葉ありがとうございます。
当時の備後落合駅は交通の要衝として大きな役割を果たしていましたね。
またマニアックな駅をありがとうございます。
地元の新聞でも「廃止?」さらにJR西の先日の発表。
かつて北海道の路線が今は見る影もないのを思い出しました。
ご視聴とコメントありがとうございます。
北海道に続き、本州や他の地域でも同様の事が起こりつつあることを感じますね。
芸備線はすべての区間で赤字という発表がされましたね。今後どうなるのかが大変気になるところですね。
今では考えられない本数と多彩な行先ですね。今や秘境駅ですが、昔は有人駅どころかターミナル駅ともいえるくらいでたいそうにぎわったのでしょう。
鹿児島県の志布志駅と並ぶローカル線の一大ジャンクション駅でした。現在は志布志駅は日南線のみの駅。
nori tabi さん
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
この駅で乗り換える人も多く、駅前も賑わいがあったのでしょうね。長いホームが存在していることも納得です。
フラン・タイガースさん
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
志布志駅も当時の時刻表は活気があり面白いですね。いつか動画のテーマに取り上げてみたいなと思います。
時代は違いますが、「たいしゃく」に乗って広島へ行くことがありました。
備後落合での停車中に「おでんうどん」を食べたことを思い出しながら拝見させて頂きました。
ご視聴とコメントありがとうございます。
「たいしゃく」は準急としては短い間の活躍でしたが、急行となってからはつい最近まで活躍していたように思える列車ですね。
「おでんうどん」は有名でしたね。今は場所を変えて、近くのお店で提供しているようですね。一度食べてみたいです。
最後に食べたのは随分前です。
美味しいですよ。
当時の味が維持されてることを願います。
久しぶりに食べたくなりました。
この動画の新旧の比較というより尺の違い(8分54秒のうち旧時刻表に6分14秒費やしている)が当時駅の賑わいを見てとれるような気がします。駅ばかりでなく機関区もあったためか鉄道官舎も周辺にたくさんあって住民もたくさんいたのでしょう。それが今や分岐点なのにかかわらず秘境駅とは...
時代の流れを感じてしまいます...
ご視聴とコメントありがとうございます。
動画の時間の中での、新旧時刻表のそれぞれの尺の長さが列車本数の違いをよく表していますね。当時は多くの職員が働いていたはずですが、まさか秘境駅になってしまうとは、想像もできなかったでしょうね。
姫路、広島直行が当たり前にあったんですねえ…
系統分断の弊害を一番受けている駅なのではありませんか?
ご視聴とコメントありがとうございます。
当時の人々がどのような経路で移動していたのかが想像できる時刻表ですね。
ここまで大きく様変わりした駅は他には存在したいのではないかと思えるくらいですね。
お疲れ様です。動画ありがとうございます。
国鉄が我が国の津々浦々まで行き交っていたことを象徴する時刻表ですね。分岐駅ということで賑わい、係の方の声が一日中響いていたものと思います。
現地を見たことはありませんが、今や1日のうちの短い時間に数回キハ120のアイドリングが響くだけになったのも交通事情の変化や人口の減少という地方のあるあるを示す姿になってしまったのが寂しいですね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
当時は機関区も存在し、多くの職員が勤務していたことが想像すらできないです。本数も大変少なくなったことに加えて、長いホームに1両しか停車しない姿は、時代の変化を感じさせますね。
昔、あの辺りは宿場町だったと聞いた。賑わってた頃の備後落合駅とその周辺をタイムスリップして見てみてえ。😆
ご視聴とコメントありがとうございます。
仰る通りで、動画を作成している時には、当時の様子を実際に見てみたくなります。
地球発22時でも冒頭に備後落合が出ていましたが、当時は駅員がいて本数も今よりは多かったのでしょうね駅舎や駅構内の姿はそのままなのに列車本数や駅員といった部分的な所だけ変わってしまったのは時が流れた証拠ですね・・・(ruclips.net/video/EHSMejvmvX8/видео.html)
1964年の時刻を見ると出雲横田行きが多いですが、おそらく出雲横田で増結して列車番号を変えて宍道まで走っていたのではないでしょうか?
2020年に14時台の三次行きに乗り、備後落合を発車してから駅スタンプ帳を忘れたことに気づき、列車交換をする備後庄原で慌てて戻ったことがありました。(ついでに簡易委託駅なのでPOS端末で入場券も買ったw)
備後落合に戻ると駅スタンプ帳は、自分が置いたままの状態で無事で、再び広島へ行くため列車に乗り、無事に目的地の広島へ着くことができたという苦さと甘さが半々の思い出があります。
比較動画として1964年の紅葉山駅(現:新夕張駅)というのも面白いかもしれませんね。
長文で失礼しました。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
出雲横田行きですが、時刻表上は出雲横田駅で宍道行きに接続しているように読めますね。
①備後落合(6:42)→出雲横田(7:47) 416D
出雲横田(8:00)→宍道(9:48) 418D
②備後落合(10:48)→出雲横田(11:52) 422D
出雲横田(12:21)→宍道(13:57) 424D
駅スタンプ帳を無事に迎えに行けてよかったです。利用客が少ないこともあるかもしれませんが、誰も持ち去らずにそのままにしてくれてくれたことが嬉しいですね。
紅葉山駅の時刻表も確認してみましたが、大変面白いですね。ご提案ありがとうございます。
よく資料を集め、整理なさりましたね。1964年、私小学校1年生でした。昨年9月末、備後落合駅に伺いました。当時は凄い本数でしたね。あの広いホーム納得です。登録しました。
ご視聴とコメントありがとうございます。
また、登録と嬉しいお言葉もありがとうございます。
当時の状況を知った上で、現在も残る駅を訪れると、感慨深いものがありますね。
この時刻が本当かどうかはわからん。
あんたの動画は沢山見させてもらった。
起承転結と、それだけではない幼い時の思い出や心に響く音楽と…
昔と現実を見させてもらった。
良いものを持ってる。
時代の流れ、幼き想い。
心に刺さる。
これからも、自分の想いを時代に流されず人に伝えてほしい。
この時刻表、懐かしい。
あんた上手いな。
ご視聴とコメントありがとうございます。
また、嬉しいお言葉ありがとうございます。
当時を思い出して懐かしむ方、時代の変化に複雑な想いを抱く方、経験したことのない当時を想像する方など、観る方によってさまざまな想いが沸き起こり、時刻表を楽しんでいただける動画になっていれば嬉しく思います。これからも時刻表を楽しんでいただける動画づくりをしていきますので、よろしくお願い致します。
今日は。備後落合駅の昔の時刻表は始めに見ました。60年代の備後落合駅も電車が多かったですね。今は田舎のなかで田舎ですけど。この時には備後落合駅も賑やかましたね。鉄道の全盛期は新幹線始まり時 1964年つもりかもしれません。
ご視聴とコメントありがとうございます。
当時の備後落合駅は大変賑やかであったことが想像できますね。現在は発着する列車本数が大変減ってしまいました。
この時代は、日本中が網の目のように鉄道で結ばれていますね。日本での鉄道全盛期はこの時代であったと思います。
隣の三井野原や道後山駅には中国地方では数少ないスキー場があり、冬は広島方面から臨時列車が出ていたそうです。
GMAPで調べたら三井野原スキー場、道後山高原スキー場が出てきましので、そのスキー場でしょうか?今も現役で運営されているようです。
浦佐駅近くにあったスキー場のように閉鎖、廃止されたところもあるので残っているのは優秀ですね。
スキー客向けの臨時列車があるのは知りませんでした。
昨今の現役スキー列車は東武のスノーパル2355くらいでしょうか。
hirobaeさん
ご視聴とコメントありがとうございます。
中国地方でのスキー客用の臨時列車というのも面白いですね。当時の需要の高さがわかりますね。
HaneNari Airport Limited exp.さん
最近のスキーをはじめとした、ウインタースポーツ需要の低下を考えると、現役で運営されているのは嬉しいですね。
東武鉄道は私鉄の中でも夜行列車が走り、現在でも工夫を凝らした列車が走り面白いですね。
快速「三井野原スキー号」ですよね。冬場にPCで運転されてました。この臨時快速は広島を夜に出る夜行便もあったのではないかと。
たいしゃくが岡山発着だったことに驚きました。そんな時期もあったんですね。
広島から山陰本線連絡の「ちどり」の夜行便が運行されてました。
今のダイヤ、木次線の備後落合から出雲横田間は下り5本、上り4本しか運行してません。
芸備線も広島口だと、運転本数が多いです。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
現在の芸備線の状況から考えると、夜行列車が存在していたことが信じにくいですね。芸備線も広島口だと1時間3本設定されていることもあり、備後落合周辺とはかなり様相が異なっていますね。
昔は冬季に元祖スキー⛷️列車の「三井野原スキー号」がありました。急行と快速。夜行もあった急行「ちどり」も。備後落合駅はそれは賑わっていたことでしょう。
ご視聴とコメントありがとうございます。
「三井野原スキー号」調べてみますと、最盛期は複数の列車が設定されていたようですね。かなりの需要があったのでしょうね。
タイムマシンがあれば、賑わっていた当時の備後落合駅に降り立ってみたいです。
1964年当時は広島・姫路行きの客車列車や多数の準急列車とか多彩だったのがわかります。
2023年現在は普通列車だけになって新見や三次、宍道、木次行きしかないというのが……。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
本数の減少に加えて、短距離の運転ばかりになってしまいましたね。利用者の減少と効率化が進んでしまった事がわかりますね。
楽しく拝見いたしました。ところで、備後落合駅止まりの列車の本数はどのくらいあるのでしょうか。
夜行ちどりが現役の頃ですね。
備後落合駅駅近くの郵便局の方の話では、1980年代前半くらいまでは
駅前は、それなりに栄えていたそうです。
昔は交通の要所だった備後落合駅には有名なおでんうどんが販売されていました
去年訪れたときは乗車していたのは鉄道マニアの人ばかり地元民は0人の状態
これでは廃止の議論が上がるのも・・・
先人たちが苦労してつなげた路線をぜひとも残してほしいと思います
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
おでんうどん、一度食べてみたいです。
地元民0人の状態は大変危機的ですね。時代の変化とはいえ、鉄道が少しずつ衰退していくのは寂しいですね。
昨年の年末年始に訪問予定で、広島から三次まで移動して備後落合行に乗り換えようとしたら「積雪の為ウヤ」との事。仕方がないので、福塩線に乗りました。そして、10月に訪問しました。
とにかく、備後落合までの運転本数が僅かなので、行程を組むのに苦心しました。
某有名ユーチューバーの大学生2人が、備後落合で世を明かす動画をアップしていましたが、撮影当日は3月だったので、寒さと孤独との戦いだった様です。
姫路までの列車と準急という種別まであったことにびっくりした。そういえば、JR全体で急行って何本あるんだろう?
ご視聴とコメントありがとうございます。
バリエーション豊かで面白いダイヤになっていましたね。日本全国で走っていた急行ですが、北海道の『急行はまなす』が廃止になってしまい、急行はなくなってしまいましたね。
昔急行ちどり乗った事あります。平成入って減る一方ですからね。沿線の航空写真による変遷見ればそもそも人が減ってるからどうしようもない。芸備線三月の落石から備後落合〜東城は不通のままですね。そのまま運転回復しないまま事実上廃線状態なるかもですね
備後落合駅はかつて、「落合銀座」と呼ばれるほど活況を呈した時代もあったようだが、1964年はまさに「黄金期」だったかもしれない。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
現在のイメージとは全く違う、まさしく交通の要衝として栄えていたことがわかりますね。
あたいも1かいだけ訪ねました
ホント山の中⛰⛰
あまり誰も指摘しませんが、芸備線過疎化の原因は、中国縦貫道開通による影響が大きいと思います。(そうでなければ、新見、庄原、三次といった、小規模ながらもいくつもの都市を通るにもかかわらず、衰退するはずがありません。)
吹田JCTを起点とする中国縦貫道は、既に昭和49年に落合ICまで開通しており、昭和58年には全通しました。
(※若干誤解していたので、補足します。上記「落合」は「美作落合」であり、「備後落合」ではありません。)
小生の記憶では、早くも昭和50年代には大阪~津山間で高速バスが頻回運転していました。
広島からも三次、庄原行の高速バスが多数運行しており、本数は少ないですが、大阪~新見・三次便の高速バスもあります。芸備線は、高速バス、さらにはマイカーとの競争に敗北した路線だと思います。
(ただ、その場合、中国縦貫道と山陰方面との公共交通機関が脆弱な気がしますが、伯備線、智頭急行等で補完されているのでしょう。中国縦貫道道中の都市と松江・米子方面とを結ぶバスの定期便は見当たりませんでした。)
広島~三次~松江間も頻繁に高速バスが運行されています。それも中国縦貫道~松江道経由で3時間強(ノンストップ型)から4時間(三次、木次等に停車)で走るので、急行ちどりなどでは勝負にならないのでしょう。
松江道が三次~宍道(松江市)まで開通したのは2013年のことなので、この後鉄道が決定的に高速バスに敗北したのでしょう。そもそも、木次線は線形が悪く、高速化するにはそうとうな改修工事が必要なので。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
また、詳細でわかりやすい情報を提供していただきありがとうございます。
高規格な路線にしようにも、当時はそれだけの技術も費用もなかったでしょうから、高速道路の出現により他の交通機関に淘汰されてしまう未来は決まっていたのでしょうね。
高速バスの高頻度で様々な地域を結べるフレキシブルさと、しかもそれを低価格で利用できるとなれば、鉄道が勝負するにはかなり厳しいですね。
@@tomoyankun 最近、高速道路の整備→高速バスの頻回運転→鉄道過疎化のパターンをたどっている地域が増えています。その顕著な例が東京湾アクアラインを走る高速バスによる、内房線の衰退です。以前はこうした現象を嘆いていましたが(元乗り鉄なので)、今となっては仕方ないと思っています。
あの時代の鉄道マン達は中国の要衝だった備後落合はじめ芸備線や姫新線がここまで閑散としている事等思いもしないだろうな………
ご視聴とコメントありがとうございます。
当時は機関区もあった駅が、ここまで状況が変化する事は想像もしていたなかったでしょうね。
日豊本線大分駅でお願いします
ご視聴とコメントありがとうございます。
魅力的な列車が走っており、大分駅もリクエストが多い駅ですね。リクエストありがとうございます。
普通列車が2時間間隔くらいで、この駅を境にして3方向に出ていくんだなあ。準急たいしゃくもあるし、現在の地方路線なんて大半がこの駅より運行本数が少ないんじゃないか?
ご視聴とコメントありがとうございます。
各方面に向けて、続けて出発していく様子は圧巻ですね。仰る通りで、現在の地方路線の大半は本数が本当に減ってしまいました。寂しいですね。
時間の都合でクルマでの沿線訪問しか出来ていませんが、おでんうどんは国道おろちループ方面交差点近くのドライブインおちあいで9〜5月の間に食べられます
出雲坂根にはおろち号運転日に焼鳥や手作りおにぎりを売る売店がありました
参考まで
このあたりは福塩線沿線でもバスの日曜運休路線があるくらい、公共交通は極めて厳しい状態ですね
並走してる中国道が最強すぎる。そりゃ太刀打ちできないよな‥
ご視聴とコメントありがとうございます。
曲線や勾配のの多い路線であることもあり、高速道路の開通によって、速達性では太刀打ちができなくなってしまいましたね。
1964年9月で備後落合駅を発車する列車は、普通と準急を合わせると31本(普通23本、準急8本)。しかも広島や姫路行きと言った長距離普通列車もありましたね。
現在は、最新のダイヤで普通のみ12本。かつての賑わいが嘘のようですね。
とはいえ当時から20時以降は走っとらんかったんか
陰陽連絡線全盛期時代でもこれなら今走っとるだけ奇跡です